いざ作業が始まってみると、作業は私の想像を遥かに超えたものでした。
7月から叩き始め、約1ヶ月。毎日朝から晩まで叩き通しです。
猛暑の炎天下、唯々叩くばかり、、、。
1打叩くと鎚目ひとつ。その繰り返しです。
水面には無作為に波が現れたり消えたりしますが、
その自然な情景を恰も自然にあるかのように表現するには
「叩きました」という行為を感じさせぬほど、
努力が滲まないようにひょうひょうと表さなければなりませんでした。
他には何もしないのです。右腕1本、金槌1本で叩くだけ。
「これは作品制作ではない。修行だ。」そう思いました。
そしてそれはスポーツにも似ていた。
朝、いきなり激しく叩かずに、徐々に力とスピードを上げて行く。
そうしないとすぐに手首が悲鳴をあげるのです。
毎日続けるために体調管理をしっかりしてモチベーションを下げずに叩き抜くべし!
半月ほど叩いてうんざりを通り越して
「どうにでもなってよ、、、」と思ったりしていた頃の事でした。
どうすれば上手に叩けるか、ある時啓示にも似た閃きがありました。
歯を食いしばらず、目には優しさをたたえるのです。
どう言う状態かというと、それは“祈り”の感覚でした。
全てのものに感謝し、すべての人々が幸せでいれるように、
1打1打が生まれて来る大切な子供のように。
そうすると叩いた力が鉄板を通して下に抜け、
地球の中心まで届くような気がするのです。
そんな時は金槌も無邪気にバウンドし、
私の右耳のところまで素直に返って来た。
そうするといちいち金槌をヨッコラセと
持ち上げなくて済むからリズムが安定しました。
それに気付いてからが早かった。
鉄板はキラキラした漣に埋め尽くされていきました。
しかし、、、本当の地獄が始まるのはまだまだこれからだと言う事を、
その時は知る由もありませんでした。