2009年 06月 27日
サファリ-656 佐々倉文という女-2 |
作品が作られていくとき、
その表面では様々な事件が起き、戦場と化します。
歴史は次々と塗り替えられ、耕され、更新されて‥‥‥
その一部始終を目撃できる歓びが、
作家を続けて行ける理由のひとつであると思います。
いちばん魅力的な表情を捉えたところで
作品を完成とする勇気も必要ですが、
敢えて攻め込んで作品を痛めつけるのも勉強になる。
実はその勇気と根性を唯一の
自尊心とさせるのが私の仕事と思っていたから、
悪くなるのを解ってそれ以上を作らせることを
私は他の生徒達にも繰り返し指導していました。
「実はあのときの状態がいちばん良かったんだよねぇ」
と言うと、みんな恨みの目で私を見つめます。
自分のセンスだけに頼って深いところを追求できない人は
長い長い作家人生を、傷だらけになりながらも
歩き続けることができないと、私は信じていました。
自分だって毎日その問題に取り組んでいたし、
本当は高いところから見下ろして
全て解ったような顔をするのは恥ずかしかった。
学校を退職して随分経つけど、こんな私でさえ、
作家を続ける不安と日々闘っているのです。
合格のテクニックだけを教えてもなんの意味も無い。
「あなたは予備校の先生なんだから、
受かり方だけ教えてくれればそれで良いんですよ。
そのために金を払ってるんですから。」
という生徒もたくさんいたけれど、
それから先の人生の方が遥かに長い。
結果ばかりを求める生徒のニーズに応えることは、
安いコストですぐ壊れるチャチな製品を
大量に作って金儲けするのと同じです。
ホンモノを長い時間かけて創り続ける作家に育って欲しい。
合理的でない、スマートでない、そんな私の指導に
いちばんバカ正直に応えてくれたのが佐々倉文で、
あのかぼちゃはダメになるまで作らせてしまったから
奇跡的な名作は幻になってしまったけれど、
私の心には今でも鮮烈に残っています。
by utyuuinu
| 2009-06-27 08:21
| 人