2009年 06月 26日
サファリ-655 佐々倉文という女 |
「弟子です。」
と、建築家の前田紀貞さんに紹介したら、
「あれ?尾崎さんは弟子は取らないって言ってませんでしたっけ?」
と言われ、自分でもハッとしました。
確かに私は弟子なんて必要無いと思っていたし、
これからもそのつもりだったのですが、
彼女を紹介するときに、つい口を突いて出てしまった。
それはきっと誇りを持って佐々倉を紹介したかったからなのかもしれません。
佐々倉はかつて私が美大受験の予備校で講師をしていた当時の生徒です。
短大に合格してからずっと、音信不通になっていたのですが、
2年ほど前に偶然再会し、それ以来私の仕事が忙しいときなど
手伝いに来てもらったりして交流があった。
作家になりたくてもなかなか現実は厳しくて、
若い頃に磨いたセンスと表現力を、
回転の速い使い捨てのような造形屋のバイトで
無駄に浪費していた。
浪人時代の彼女は不器用で、優等生ではなかったけれど、
私が教えた多くの生徒の中で、最も優れた作品と認めることができる粘土の造形を
たったひとつだけ作ったのが印象的でした。
通常のカリキュラムではなく、彼女のために特別に宿題を与えて
粘土でカボチャを作れと伝え、夜にせっせと作った作品を
毎日持ってこさせてはダメ出しの繰り返し。
数週間作らせたところで目を見張るかたちが作品の表面に現れてきた。
それは他の生徒には見られない強烈な個性で、
柔らかい粘土の質感とかぼちゃが持つ硬い質感のせめぎ合い‥‥‥
硬い質感のモチーフを硬く作ることは、表面を似せれば割と簡単にできるのですが、
彼女の太い指がまさぐるように作り出す流動的な勢いが、
植物の生命感を、さらにそれを超えて佐々倉文の生命感を表していました。
こういうときが指導においてはチャンスで、ひとつレベルを押し上げるから、
私は「この感じを忘れるな」とだけ言って、さらに表面の完成度を
高めるための作り込みを指示しました。
作品は作り込むほどに表面の説明的作業になっていき、
最後にはどこにでもありふれた、写実的な造形作品に変わり果ててしまった。
と、建築家の前田紀貞さんに紹介したら、
「あれ?尾崎さんは弟子は取らないって言ってませんでしたっけ?」
と言われ、自分でもハッとしました。
確かに私は弟子なんて必要無いと思っていたし、
これからもそのつもりだったのですが、
彼女を紹介するときに、つい口を突いて出てしまった。
それはきっと誇りを持って佐々倉を紹介したかったからなのかもしれません。
佐々倉はかつて私が美大受験の予備校で講師をしていた当時の生徒です。
短大に合格してからずっと、音信不通になっていたのですが、
2年ほど前に偶然再会し、それ以来私の仕事が忙しいときなど
手伝いに来てもらったりして交流があった。
作家になりたくてもなかなか現実は厳しくて、
若い頃に磨いたセンスと表現力を、
回転の速い使い捨てのような造形屋のバイトで
無駄に浪費していた。
浪人時代の彼女は不器用で、優等生ではなかったけれど、
私が教えた多くの生徒の中で、最も優れた作品と認めることができる粘土の造形を
たったひとつだけ作ったのが印象的でした。
通常のカリキュラムではなく、彼女のために特別に宿題を与えて
粘土でカボチャを作れと伝え、夜にせっせと作った作品を
毎日持ってこさせてはダメ出しの繰り返し。
数週間作らせたところで目を見張るかたちが作品の表面に現れてきた。
それは他の生徒には見られない強烈な個性で、
柔らかい粘土の質感とかぼちゃが持つ硬い質感のせめぎ合い‥‥‥
硬い質感のモチーフを硬く作ることは、表面を似せれば割と簡単にできるのですが、
彼女の太い指がまさぐるように作り出す流動的な勢いが、
植物の生命感を、さらにそれを超えて佐々倉文の生命感を表していました。
こういうときが指導においてはチャンスで、ひとつレベルを押し上げるから、
私は「この感じを忘れるな」とだけ言って、さらに表面の完成度を
高めるための作り込みを指示しました。
作品は作り込むほどに表面の説明的作業になっていき、
最後にはどこにでもありふれた、写実的な造形作品に変わり果ててしまった。
by utyuuinu
| 2009-06-26 10:19
| 人