2009年 04月 02日
サファリ-595 不識-11 |
「原型の型を取る」という行為は単なる作業にすぎない。
しかし、原型からいくつかの素材にバトンタッチしながら
進めて行く過程で、細かいかたちが壊れてしまったり
歪んだり、気泡が入ったり、肌が荒れたり、
いろいろな問題が起きてきます。
その都度修正する訳ですが、それを修正する自分の「手」が、
当然自分の視界に入っていて、変な言い方だけど、
誰かの手が作業してる風景が目の前で繰り広げられます。
その手が、庄作先生の手であることが理想なのですが、
実はそれに近い状態になるときがある。
どういう事かと言うと、修正修正で、彼の粘土のタッチを
なぞって行くことを繰り返すうちに、
その手のクセというか、作法のようなものが自然と身に付くのです。
そして面白いことに、彼のタッチの奥の方に、平櫛田中先生の
作法を感じるときもある。
それって凄い事です。師の教えを忠実に守り、
自分の作品に繰り返し実践し続ける訳ですから。
もうひとつ凄いと感じたのは、彼が右利きか左利きか、
粘土のタッチを見ても判らないのです。
普通はクセのようなものがあって、どうしても
一方方向に偏った流れができるものなのですが、
彼の作品にはそれが見えてこない。
それほど細かく突き詰めてやり込んでいる。
少し批判的な言い方をすれば、
そうやっていじりすぎることで作品が硬くなる。
躍動感とか、激しい感情表現とか、そういう衝動的な
瑞々しさが感じられない。
しかし、その魅力はそれ。
彼の徹底的な作り込みはまたその魅力として充分敬服できる。
「俺だったらここはこうしないんだけどなぁ‥‥‥」
と思いながら作るってのもなかなか楽しいものです。
by utyuuinu
| 2009-04-02 02:53
| 職人