2007年 12月 18日
サファリ-325 結界 |
「仏道修行の障害となるものの入ることを禁じること。また、その場所。」
なんだそうです。
「製品」で終わるか、「作品」にまで高めるか、
その境界であるように思う。
私は1匹の作り手として、その1線の上を行ったり来たりする。
線を1歩踏み越えると息苦しくめんどくさく、様々な不安が
重油のようにべったりと身体にまとわりついてくる。
線のこちら側は爽やかで快適で、しかし何も残らない、
何もワクワクしない。
買い物をする人はその境界をしばしば金額というかたちで
見て判断します。
作品と呼ばれるものは高額だし、製品ならリーズナブルだから、
予算の都合に合わせて選択する。
精魂込めて良い材料を使い、人と環境に優しい製造方法で
こだわって作る「製品」を作り続ける人を私は尊敬しますが、
更に言えばそれはあたりまえの事で、
私の考える結界はそれ以上に自分の中にある純粋で不安定な
ものを引きずり出してこねまわす作業です。
そして、どうしても、どうあっても、それがそれでなければならない理由が
切ないほどに出てこなければ、線の向こう側で生きる事はできないのです。
それは自己満足かもしれない。
しかし、私に作品を依頼してくださる人が、なぜ
私でなければならなかったかを考えると、
私は「作品」を作らなければいけないと自分に言い聞せます。
ぺぺちゃんはとても家族想いで、
家族が集うテーブルには切実な願いがきっとあった。
それは彼の人生、生き方を象徴するものであろう。
そんな彼の気迫を私は感じ、幾度も幾度も
彼らがテーブルを囲んで笑っている風景を想像していました。
そのとき私の中で初めて、テーブルの表面に
水の波紋が現れたのです。
真っ平らにピカピカに磨かれ、あとは最後の仕上げの表面処理である
「擦り漆」の第1層目をかけようという朝、
私は奇麗な天板の表面に波紋を彫る決断をしました。
by utyuuinu
| 2007-12-18 08:29
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