2011年 06月 07日
サファリ-1058 囚われ-2 |
昨日の日記の天使は、
指揮者であるということが判った。
天使でありながら死神でもあると言う事も。
獲物にとっては死の歌、
蜘蛛にとっては生の歌。
「生命の歌」を奏でる指揮者です。
指揮棒は持たず、全身で生命の讃歌を歌います。
ここのところ、私は何者かに囚われていました。
それは恐らく生活のための“仕事”にです。
仕事の工程写真をただブログにアップするだけ。
鉄工所のおじさんが趣味で毎日、
ブログに写真を載せて満足しているに過ぎなかった。
そのような工程記録写真の掲載が、
次第に義務的になっていきました。
真面目に働いてるアリバイを公表して
とりあえず安心すると言うか。。。
それを「囚われる」と表現しましたが、
囚われるというのは自分を獲物と重ね合わせた場合、
つまり死や屍や奴隷という世界であって、
蜘蛛と重ねると突然それは生命になってしまう。
1つの事を違った立場で解釈するとふたつの対極が現れる。
しかしそれは実は大きなひとつのことを意味していて、
自分の中にはきっと、その両方を受け入れ、
常に携える自然感が必要なのです。
指揮者であるということが判った。
天使でありながら死神でもあると言う事も。
獲物にとっては死の歌、
蜘蛛にとっては生の歌。
「生命の歌」を奏でる指揮者です。
指揮棒は持たず、全身で生命の讃歌を歌います。
ここのところ、私は何者かに囚われていました。
それは恐らく生活のための“仕事”にです。
仕事の工程写真をただブログにアップするだけ。
鉄工所のおじさんが趣味で毎日、
ブログに写真を載せて満足しているに過ぎなかった。
そのような工程記録写真の掲載が、
次第に義務的になっていきました。
真面目に働いてるアリバイを公表して
とりあえず安心すると言うか。。。
それを「囚われる」と表現しましたが、
囚われるというのは自分を獲物と重ね合わせた場合、
つまり死や屍や奴隷という世界であって、
蜘蛛と重ねると突然それは生命になってしまう。
1つの事を違った立場で解釈するとふたつの対極が現れる。
しかしそれは実は大きなひとつのことを意味していて、
自分の中にはきっと、その両方を受け入れ、
常に携える自然感が必要なのです。
by utyuuinu
| 2011-06-07 05:16
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