2009年 02月 03日
サファリ-558 線と点 |
私が小学校のときに最も嫌いだった教科は算数でした。
1年生のときに、プラスチックのケースに色とりどりの細い棒や
おはじきみたいなものが教材として支給されたときは
ちょっとワクワクした。
でも、それらの道具類が不必要になり、
リンゴやバナナのカラー印刷が教科書から
だんだん消えていくのを見て、
それは私にとってアマゾンの森林が破壊され、
豊かな自然が消滅していくのと同じで、
森に住むナントカモンキーである私は、
次第に居場所がなくなり、最後には絶滅してしまったのです。
テレビで禅寺の修行僧が心を無にして座禅を組む映像を見て、
算数の授業というのはそうやって自分を無にし、
時間が過ぎ去るのを待てば良いのだということを発見し、
それが私がどうにか学校で生きて行くための処世術となりました。
そんな状態ですから中学に上がったころにはすっかり仏の境地に至り、
それほど苦しまずに空白の時間を過ごせるようになった。
数学の先生はコイズミ先生といって、やたらスカした若い人でした。
言葉の隅々まで自信に満ちた、迫力のある授業をされていたけど、
私にとってそんなことはどうでも良く、
いつものように自分をスリープモードにしていたら、
彼がつぶやくようにひとこと発しました。
「数学の世界において線と点は面積を持たない」
その瞬間、私の脳が何かに反応し、見事に再起動しました。
その続きに彼が何を言ったのか覚えていないところを見ると、
おそらくそのあと私は再び無に戻って行ったのだろうと思いますが、
何故かこのセリフは私にとって衝撃的で、
何かの作業で線を引くとき、必ずこの言葉を思い出します。
私も後に「先生」と呼ばれる仕事に就いた時期がありましたが、
生徒の印象に残る授業、印象に残る言葉を
ひとつでも言うことができたら、それは先生冥利に尽きることで、
結局私は数学を好きになることはなかったけれど
コイズミ先生は私の中では尊敬する先生として
きっと死ぬまで心に残っていると思います。
ちなみにコイズミ先生は同じ学校のカタヨセ先生という、
ため息が出るほどの美しい音楽の先生が好きだったけれど、
卒業のときに誰かが「彼はカタヨセにフラれたらしいぜ」
というのを聞いて、関係の無い私が妙に
悲しい気持ちになった事を覚えています。
by utyuuinu
| 2009-02-03 04:18
| プロセス